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追悼

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 今回の東北へ旅行の日程には、石巻市の大川小学校も入っていました。

 5年前の東北大震災の大津波で被災した小学校です。

 児童74名、教職員10名の尊い命が失われました。

 この大川小学校に行くまでは、何とも言えない気持ちでした。

 行っていいのか、どうなのか、御遺族の方たちはどんな思いをされるのだろうなどなど・・・。

 でも行ってみて、被災した後の学校の様子を実際に見、慰霊碑のところでは、自然と涙があふれます。

 天使の像もある慰霊碑の前で、みんなで黙祷しながら追悼の気持ちを込めて祈りました。

 今の学校の様子です。

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 その時の様子を想像するだけで胸が苦しくなってきます。

 県の2004年の津波浸水域予定図では、津波は海岸から最大で3km程度内陸に入るとされ

 4km以上離れている大川小学校には津波は到達しないとされていました。

 ちょうど、数日前のヤフーに宮城のニュースとして、

 この大川小学校を設計した北沢興一さんの記事が出ていました。

 北沢さんは、震災直後にこの大川小学校を訪ねられたとのこと。

 そのときに外国人記者から学校との関係を聞かれ、

 遺族の心情を考えると、とても設計者として名乗れなかったようです。

 今年3月に震災遺構として被災した校舎の保存が決まり、取材に応じてもいいと思うようになら

 れたということです。

 1985年3月の完成時、屋上がないモダンなデザインが評判になりました。

 子供たちが校内を駆け回り喜ぶ姿に、建築家冥利に尽きるという充実感にも包まれたようです。

 海から4km離れていて、津波対策は求められなかったとのこと、

 ただ地震対策には気を使い、コンクリート製のくいが200本以上打ち込まれ、

 学校の施設としては異例の多さだったようです。

 裏山にあづまやを建て、遊歩道でつなごうと提案したけど、予算面などで断念されました。

 無理をしてでも造るべきだったと、今でも悔いておられるとのこと。

 二度と悲劇を繰り返さないため、校舎をどう残すか、設計者だからこそ貢献できるはずと

 思っていらっしゃるようです。

 
 ちょうど9月の末にこの大川小学校を訪れ、記憶に強く留まる胸の痛みを感じたばかりだったので、
 
 このニュースを読みながら、訪れたときのことが、鮮明によみがえりました。

 私たちがいるときにも、乗用車で来られる方や、出るときには東北大学の学生さんたちを

 乗せたバスも来ました。

 この近辺では、被災されたかたがたの仮設住宅もあちこちに見られました。

 改めて震災はまだ終わっていないんだと実感させられ

 決して忘れてはいけない、無駄にしてはいけないたくさんの尊い命なんだと

 強く思うことです。

 地震大国日本、これからも自然の脅威にさらされる事態が起きると予想されます。

 だからこそ、何かできることはないか、常日頃からの防災意識も大切ですね。



 

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