東北 中尊寺 [観光スポット(東北)]
リビングの出窓にある、観葉植物のピンクのアンスリウムです。
ハート型の苞が、鮮やかに印象的で、花は、中央の棒状の形のものです。
東北の続きです。岩手県の平泉です。
奥州藤原氏が、浄土思想に基づき100年近くにわたって築いた仏教土です。
今回の旅で、一番といっていいほど注目していた世界遺産にもなっている中尊寺です。
東日本大震災のあった2011年の6月に世界遺産に登録され、
震災で胸がとても痛んでいたところの朗報、とても印象に残った世界遺産地です。
一条の光のようにも感じられ、東北の地に、すこしでも励みになる出来事ではと思ったりもしました。
その世界遺産登録からの5周年になるときに訪れることができました。
金色堂
平安末期、東北の政治、文化の中心として栄えた平泉
初代藤原清衡は、戦乱の世に生まれ、この世の地獄を見るような体験をします。
戦乱のない世を築こうと決意し、仏教に帰依し、仏国土を創ろうとしました。
金色堂などの完成を祝う法要で
「戦乱で亡くなったすべての命を、敵味方の区別なく慰め、極楽浄土へ導きたい」
という趣旨の願文を読みあげたそうです。
その思いは、2代目基衡、3代目秀衡へと引き継がれていきます。
金色堂内は、写真は撮れませんが、
約5、5メートル四方の阿弥陀堂の内外は、すべて金箔が押されています。
柱や仏壇など、螺鈿細工と漆の蒔絵などで飾られています。
壇上には、金色の阿弥陀三尊、四天王など、32体の仏像があり、
仏壇の中には、初代清衡、2代基衡、3代秀衡の柩が納められています。
工芸、建築技術、仏教美術、いずれをとっても当時の最高水準を誇っています。
芭蕉が、金色堂で詠んだ句
「五月雨の 降残してや 光堂」
(あたりは雨で朽ちているが、この金色堂だけは光輝いている。
あたかも五月雨がここだけには降らなかったかのように。)
敷地内は広く、雨がしとしと降る中での参拝でしたが、
どの建造物も素晴らしく、歴史を感じさせてくれます。
経堂
金色堂旧覆堂
以前はこのお堂が金色堂を覆って,風雪などから守っていました。
紅葉の頃は、色鮮やかな美しい景観が楽しめそうです。
本堂
まるで、龍のような木にも遭遇しました。
弁慶堂
堂内には、立ち往生の武蔵坊弁慶の等身大の木像と、義経の木像が安置してあります。
参道からは、北上川とその周辺が見渡せます。
北上川の近くには、「高館義経堂」があります。
堂内には、この地で悲運の死を遂げた源義経の木像が安置されているようです。
源頼朝からの依頼で平家滅亡に追い込んだ義経。
ところが、その頼朝から、突然勘当された義経。
義経は、3代目秀衡を頼ってこの東北に来ますが、病に秀衡が倒れてしまいます。
4代目泰衡は、父秀衡の遺言に背き、義経主従を急襲してしまいます。
そして、義経は高館義経堂の地で自害することになりました。
結局は、頼朝の奥州征伐に合い、4代目泰衡のときに、奥州藤原氏は滅びることになります。
「夏草や 兵どもが 夢の跡」
平泉を訪れたときの芭蕉の句です。
高館の丘陵に上り、眼下に広がる風景を眺めて、奥州藤原氏の栄華の跡、義経主従ら武人に
思いをはせた句です。
(人けのないところに、今は夏草だけが生い茂るばかりだ。
かつて、義経主従や藤原一族のものたちが、功名、栄華を夢みたところ
すべてが、一炊の夢と消えた哀れさに心が誘われる)
敷地内には、大きなモミの木もありました。
時代の流れを感じさせてくれる大きなモミの木です。
中尊寺でいただいた、美しい御朱印です。